クアラ・ベヘー

提供: Yourpedia
2020年6月23日 (火) 00:29時点における由亜辺出夫 (トーク | 投稿記録)による版 (赤道会1975,1976により新規作成)

(差分) ←前の版 | 最新版 (差分) | 次の版→ (差分)
移動: 案内検索

クアラ・ベヘーインドネシア語Kuala Behe)は、インドネシア西カリマンタン地方・ランダク県地名ガバンの上流約40kmの地点にある[1]

1944年頃、モーターボートで朝6時にガバンを出発し、夕方5時にクアラベヘーに着いたという話があり[2]、ガバンから船で2日ほどかかった[3]

日本の占領時期には野村東印度殖産が直営でダイヤ族の人夫とマレー人の選鉱人夫を使役してダイヤモンドの採取事業をしていた[1]。村落は三角州のように3つの岸に分かれていて、それぞれインドネシア人の部落と、華人の部落、小高い丘の上にN社の社員が生活したアタップ葺きの小屋があった[3]

上流のブリンビン、スリンボウ、下流のバゴー、シボトなどにもダイヤモンドの採掘現場があった[4]

付録

関連リンク

脚注

参考文献

  • 赤道会 (1976) ポンチアナク赤道会『続赤道標』JPNO 73015036
  • 赤道会 (1975) ポンチアナク赤道会『赤道標』JPNO 73012073

座標:0.585838 N 110.001307 E