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*:国家ニ勲功アル者
 
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*#'''勲功者''' - [[伊藤博文|伊藤家]](後、[[公爵]])、[[井上馨|井上家]](後、侯爵)、[[大木喬任|大木家]]、[[大山巌|大山家]](後、公爵)、[[川村純義|川村家]]、[[黒田清隆|黒田家]]、[[佐佐木高行|佐佐木家]](後、侯爵)、[[副島種臣|副島家]]、[[寺島宗則|寺島家]]、[[広沢真臣|広沢家]]、[[松方正義|松方家]](後、公爵)、[[山県有朋|山県家]](後、公爵)、[[山田顕義|山田家]]、[[吉井友実|吉井家]]
 
*#'''勲功者''' - [[伊藤博文|伊藤家]](後、[[公爵]])、[[井上馨|井上家]](後、侯爵)、[[大木喬任|大木家]]、[[大山巌|大山家]](後、公爵)、[[川村純義|川村家]]、[[黒田清隆|黒田家]]、[[佐佐木高行|佐佐木家]](後、侯爵)、[[副島種臣|副島家]]、[[寺島宗則|寺島家]]、[[広沢真臣|広沢家]]、[[松方正義|松方家]](後、公爵)、[[山県有朋|山県家]](後、公爵)、[[山田顕義|山田家]]、[[吉井友実|吉井家]]
*#'''追加''' - [[板垣退助|板垣退助]]、[[大隈重信|大隈家]](後侯爵)、[[勝海舟|勝家]]、[[後藤象二郎|後藤家]]、[[伊地知正治|伊地知家]]、[[野津道貫|野津家]](後、侯爵)、[[小松帯刀|小松家]]、[[東郷平八郎|東郷家]](後侯爵)
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*#'''追加''' - [[板垣退助|板垣退助]]、[[大隈重信|大隈家]](後、侯爵)、[[勝海舟|勝家]]、[[後藤象二郎|後藤家]]、[[伊地知正治|伊地知家]]、[[野津道貫|野津家]](後、侯爵)、[[小松帯刀|小松家]]、[[東郷平八郎|東郷家]](後、侯爵)
 
*#'''陞爵''' - [[樺山資紀|樺山家]]、[[陸奥宗光|陸奥家]]、[[土方久元|土方家]]、[[佐野常民|佐野家]]、[[林董|林家]]、[[伊東祐亨|伊東家]]、[[奥保鞏|奥家]]、[[黒木為もと|黒木家]]、'''[[小村寿太郎|小村家]]'''(後、侯爵)、[[佐久間左馬太|佐久間家]]、'''[[乃木希典|乃木家]]'''、'''[[山本権兵衛|山本家]]'''、[[香川敬三|香川家]]、[[田中光顕|田中家]]、[[兒玉源太郎|児玉家]]、[[桂太郎|桂家]](後、公爵)、[[林友幸|林家]]、[[寺内正毅|寺内家]]、[[渡辺千秋|渡辺家]]、[[長谷川好道|長谷川家]]、[[内田康哉|内田家]]、[[珍田捨巳|珍田家]]、[[伊東巳代治|伊東家]]、[[平田東助|平田家]]、[[牧野伸顕|牧野家]]、[[加藤高明|加藤家]]、[[清浦奎吾|清浦家]]、[[後藤新平|後藤家]]、[[金子堅太郎|金子家]]
 
*#'''陞爵''' - [[樺山資紀|樺山家]]、[[陸奥宗光|陸奥家]]、[[土方久元|土方家]]、[[佐野常民|佐野家]]、[[林董|林家]]、[[伊東祐亨|伊東家]]、[[奥保鞏|奥家]]、[[黒木為もと|黒木家]]、'''[[小村寿太郎|小村家]]'''(後、侯爵)、[[佐久間左馬太|佐久間家]]、'''[[乃木希典|乃木家]]'''、'''[[山本権兵衛|山本家]]'''、[[香川敬三|香川家]]、[[田中光顕|田中家]]、[[兒玉源太郎|児玉家]]、[[桂太郎|桂家]](後、公爵)、[[林友幸|林家]]、[[寺内正毅|寺内家]]、[[渡辺千秋|渡辺家]]、[[長谷川好道|長谷川家]]、[[内田康哉|内田家]]、[[珍田捨巳|珍田家]]、[[伊東巳代治|伊東家]]、[[平田東助|平田家]]、[[牧野伸顕|牧野家]]、[[加藤高明|加藤家]]、[[清浦奎吾|清浦家]]、[[後藤新平|後藤家]]、[[金子堅太郎|金子家]]
 
*'''[[朝鮮貴族]]'''
 
*'''[[朝鮮貴族]]'''
*:韓国併合後に授爵
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*:韓国併合後に叙爵
 
*#'''併合時''' - 李址鎔、閔泳璘(後、爵位褫奪)、李完用(後、侯爵)
 
*#'''併合時''' - 李址鎔、閔泳璘(後、爵位褫奪)、李完用(後、侯爵)
 
*#'''陞爵''' - 尹致昊(伊東致昊)、宋秉畯(野田秉畯)
 
*#'''陞爵''' - 尹致昊(伊東致昊)、宋秉畯(野田秉畯)
 
*#'''現状不明''' - 高羲敬(陞爵?)
 
*#'''現状不明''' - 高羲敬(陞爵?)
  
*上記のうち公家の1及び2、武家の1及び2、新華族の1が明治17年([[1884年]])の華族制度発足とともに伯爵を授爵された家である。
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*上記のうち公家の1及び2、武家の1及び2、新華族の1が明治17年([[1884年]])の華族制度発足とともに伯爵を叙爵された家である。
*武家2のうちで太字となっているものは内規(現米5万石以上)を満たしていないにもかかわらず特別な事情により伯爵を授爵した家である。宗家は[[韓国]]との外交を担ってきた家格が、松浦家は[[明治天皇]]の外戚であることが配慮されたと言われている。
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*武家2のうちで太字となっているものは内規(現米5万石以上)を満たしていないにもかかわらず特別な事情により伯爵を叙爵した家である。宗家は[[韓国]]との外交を担ってきた家格が、松浦家は[[明治天皇]]の外戚であることが配慮されたと言われている。
*公家3、武家3、新華族3は勲功によって[[子爵]]から陞爵された家である。ただし新華族3において太字となっている家は[[男爵]]から直接伯爵に陞爵された。また新華族2のカテゴリーは明治17年(1884年)以降に(華族制度発足の際には授爵されなかったが)伯爵を(陞爵ではなく直接)与えられた家を意味している。
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*公家3、武家3、新華族3は勲功によって[[子爵]]から陞爵された家である。ただし新華族3において太字となっている家は[[男爵]]から直接伯爵に陞爵された。また新華族2のカテゴリーは明治17年(1884年)以降に(華族制度発足の際には授爵されなかったが)伯爵を(陞爵ではなく直接)叙爵された家を意味している。
  
 
==西欧との対応==
 
==西欧との対応==

2007年10月27日 (土) 20:12時点における版

伯爵(はくしゃく)とは爵位の一つである。日本華族制度で採用されていた「五爵」の第三位。古くは中国、近代の日本の華族やヨーロッパロシア貴族の階級として用いられた。物語等の世界に於いては、大佐と同じ程度、よく使われる。

日本の伯爵家

華族
公爵
侯爵
伯爵
子爵
男爵
  • 上記のうち公家の1及び2、武家の1及び2、新華族の1が明治17年(1884年)の華族制度発足とともに伯爵を叙爵された家である。
  • 武家2のうちで太字となっているものは内規(現米5万石以上)を満たしていないにもかかわらず特別な事情により伯爵を叙爵した家である。宗家は韓国との外交を担ってきた家格が、松浦家は明治天皇の外戚であることが配慮されたと言われている。
  • 公家3、武家3、新華族3は勲功によって子爵から陞爵された家である。ただし新華族3において太字となっている家は男爵から直接伯爵に陞爵された。また新華族2のカテゴリーは明治17年(1884年)以降に(華族制度発足の際には授爵されなかったが)伯爵を(陞爵ではなく直接)叙爵された家を意味している。

西欧との対応

  • 伯爵と訳されることがある西欧の爵位
    • Earl - 英国における伯爵相当
    • Count - 英国をのぞく各国における伯爵相当

関連項目

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